社長インタビュー


永浜 達郎
(ながはま たつお)

永浜 達郎
(ながはま たつお)

●プロフィール
1953年千葉県生まれ。日本大学芸術学部卒。
映画の助監督を経て、86年株式会社アートディンクを設立。
代表取締役社長に就任し、現在に至る。
代表作に『A列車』シリーズなど。

社長は就活未経験!?

―― はじめに、社長の就職活動のエピソードから伺いたいのですが。

せっかくのインタビューに水をさすようで申し訳ないんだけどね、残念ながら私は、いわゆる就職活動(=スーツ着てネクタイをしめて会社をまわる)というものを経験したことがないんだ。ついでにいうと、新入社員どころか「社員」になったことすらないんだよ。

―― え?! では、いきなり「社長」なんですか?

まあ、いきなりではないけどね。私は学生時代にどっぷりと映画にはまっていて、卒業後は映画の道に進みたいと考えていたんで、一般企業への就職はまったく考えてなかったんだ。で、卒業後は予定通り(?)映画の世界に飛び込んで、いきなりフリーの助監督になった。フリーといっても、アルバイトに毛が生えたようなもんなんだけどね。ともかく、会社に入って「社員」にはなることはなかった。

―― でも、就職そのものは志望通りだったんですね。

そういうことになるかな。好きな世界だったから、それはもう貪欲に仕事をしたよ。同時に6本の作品をかかえるとかね。若かったこともあるけど、激務も苦にはならなかった。もっとも、下っ端の助監督なんてギャラが安かったから、とにかく数をこなさないと食べていかれなかったというのが本当のところなんだけど(笑)。

売れた!じゃあ会社を作ろう!

―― ところが、途中でゲーム業界へと転じられました。

助監督としては順調に出世していったんだけどね(笑)。実は当時、趣味でパソコン(当時はマイコンといいました)いじりに熱中して、あれこれとプログラムを作っているうちに……

―― 『A列車で行こう』ができてしまった?

いや、まさか。そんなに都合良くはいかないよ(笑)。当時の状況を少し説明すると、まだ現在のようにパソコンが普及しておらず、というかパソコンという商品そのものが市販されていなかった時代だったんだ。パソコンがほしければ、自分でチップを買ってきて作るしかない。ハードだけじゃなく、ソフトウェアもそう。全部自作するしかなかった。で、ドライバとかプログラミング言語とか、必要なものを自分で作ってたわけ。

―― たいへんな時代だったんですね。

楽しかったけどね。で、当時考えたんだけど、自分が必要にせまられて作ったソフトウェアなんだから、他人も必要としてるんじゃないか。ひょっとしたら、売れるんじゃないか、と。

―― なるほど。で、売ってみたら……

見事に売れた、おかげさまで(笑)。と同時に、ビジネスとして成立する手ごたえも十分感じたんだ。それに、自分の作品が価値を認められ、人々に受け入れられる達成感は、映画と少しもかわらないってことにも気づいた。まあ、とにもかくにもそんなこんなで、アートディンク設立に至るわけ。

『A列車』はゲームじゃなかった!?

―― 『A列車』を作ろうとしたきっかけは?

当時、「パソコンが一番力を発揮できることは何か」について、毎日仲間と議論しててね。でも、すんなり答えがみつかるわけじゃない。そんな中、ふと「鉄道をシミュレートしたらどうだろう」とひらめいた。そもそも鉄道というのは、構造的にシンプルでとてもコンピュータ向きなんだ。それに当時の、現在のとは比べ物にならないくらい非力なパソコンでも、十分表現できそうだったし……鉄道ファンは世の中に大勢いるから、受け入れられる土壌もありそうだったしね。ということで、さっそくこのアイデアを仲間にぶつけてみたんだ。

―― 反応はいかがでした?

いつになく面白がってくれたよ。それまでは私のアイデアを手放しで賛同してくれたことなんかなかったのにね(笑)。でも今思えば、あれが大きかったかなあ。背中を後押しされたような気がしたよ。

―― 開発は苦労されましたか?

それは、まあ、それなりにね。何しろはじめての試みだったし。それこそ寝食を惜しんでがむしゃらに作りつづけたよ。で、だんだんできあがってきたんだけど、なんか面白くないというか……。

―― 面白くない?

鉄道をそのまま再現する、つまりレールの上を電車がただ走る、さらにはそれをただ眺めてるだけっていうのは単調でつまらないわけ。面白いものにするにはプラスアルファが必要だということになって、あれこれ考えた結果、たどりついた結論が……「ゲームにしよう!」(笑)。というわけで、急遽〈目的地を設定してそこまで線路を伸ばせるか〉というパズル要素を盛り込んだ。

―― ということは……『A列車』は、はじめはゲームとして作られたわけではなかった?

まあ、そういうことになるかな(苦笑)。結果としてゲームというジャンルに落ち着いたけど、要は面白ければ何だってよかったというか……。大事なのは、「パソコンが一番力を発揮できることは何か」だったから。

―― でも、『A列車』はゲームとして受け入れられ、〈ゲーム開発会社アートディンク〉の原点となったわけです。

それは確かにそのとおり。ただ、今でもそうだけど、私自身はこれまで〈はじめにゲームありき〉でモノ作りをしてきたことはないんだ。また、当社のビジョンとしても、ゲーム作りだけにこだわっているわけではない。我々は「コンピュータ」という、常に急速な進化を続ける、とてつもない面白いフィールドで仕事をさせてもらえているわけだから、その進化(ハード)に負けないくらい面白いモノ(ソフト)を作ってやらなきゃ嘘なんじゃないか、少なくともそういう気概をもって取り組まなきゃダメだと思ってやっている。

―― なるほど。常にハードの性能を最大限活用するといった、アートディンクの作品の特長は、最初の『A列車』の頃からすでにあった、というわけですね。その後の当社のゲームの推奨環境がとても高いのも、そんなポリシーからなんですね。そういえば昔、まだハードディスクが普及してない頃に、ハードディスク専用のRPGを出したりしましたが、あれも……。

いや、さすがにあれは……やり過ぎだったかな(苦笑)。

アートディンクが求める人材とは

―― 話はつきませんが、一応今回のインタビューのテーマは「新卒採用」なので、そろそろ当社をはじめとしたゲーム業界をめざして就職活動をしている学生の方々へメッセージをいただきたいのですが。

私が学生の皆さんにアドバイスしたいのは、〈自分がやりたいことのビジョンを明確に持ち、それに邁進することが大事〉だということ。モノ作りの世界では、これはとても重要なことです。自分の中の軸がぶれてしまっては、良い作品を作り出すことはできません。逆に、自分が何をやりたいのか、そのために何をすべきかをはっきり認識し、努力を惜しまなければ、「力」は後から必ず身についてくるはずです。

―― なるほど。

ゲーム業界は外から見ているほど華やかではないし、実際はとても厳しい世界です。知力も体力も必要だし、技術の進歩にあわせて常に勉強をしつづけなければなりません。それに、昨今はあまり景気が良くないから、仕事がきつい割にはけっして待遇も良いわけではない。自分のやりたいことをいつか必ず実現させるんだ、という気概がない人には向かない業界だと思います。

―― たしかにそうですね。

でも、さっきも言いましたが、我々は「コンピュータ」という、とてつもない面白いオモチャを与えられているわけです。私は現在でもディレクタであり、プログラマでもあるんですが、ゲーム作りはほんとうに面白い。いまだにそう感じます。しかも、日々刻々ハードは進化をし続けるわけで、可能性は無限に広がっていく。モノ作りを職業にしたいと考えている若者にとって、これほど魅力的なフィールドはないんじゃないでしょうか。

―― では最後に、当社が求める人材像をお聞かせください。

当社の経営理念である〈知的好奇心の追求〉を体現できる人。そして、知的好奇心を追求しつつ、〈価値ある作品を創造〉できる人。抽象的でわかりにくいかもしれませんが、要は、高い志をもってモノ作りにチャレンジできる人。そんな人に仲間になってもらいたいと思っています。期待しています。