【シナリオ 榊一郎】
私、軽小説屋の榊一郎が『カルネージ・ハート』というゲームに携わるのはこれで二度目です。
一度目の時もシナリオを担当させてもらった訳ですが――実をいえば当時、相当な不安が在りました。『カルネージ・ハート』といえばカリカリにハードなプログラム系のゲームだという事は、ゲーム事情にうとい私でも知っていた訳で。
最善を尽くすのは大前提としても、私のシナリオが雰囲気に合うかどうか――それまでのカルネージ・ハートのファンの方々に受け入れて貰えるかどうか、分からなかったのです。
将棋やチェスに物語なんて無い様に、そもそもプログラムをひたすら組んで最強のオーバーキル・エンジンを組み上げる、という、一種、求道者的な楽しみ方をするゲームに『物語』なんて要るのか――と。
一作目の結果は正直分かりませんが、二作目のお話が来た以上、顰蹙を買う様な不評ではなかったのでしょう。安堵すると共に――さて次はどうするべきか、と困り果てました。最善を尽くした積もりだったので、それ以上のものを、と考えても中々思いつけなかったのです。
ある意味で、カルネージ・ハートはプレイヤー本人が戦いません。あくまで戦うのはOKEであり、プレイヤーは基本的に自分の組み上げたOKEのプログラムが戦う様を見ているだけです(エクサでは一機だけ、自機をリアルタイムで操れる様になったみたいですが)。これは戦闘兵器というものを考えると非常に合理的なのですが、物語としてみると、ヒーロー性というか、爽快感に欠けます。
この部分をどう扱うか、というのがキモだというのは前作と同じでした。
なので、車椅子の主人公、側に寄りそう介護用アンドロイド、みたいな、うすぼんやりとイメージはあったものの、これという決め手を欠く――そんな状態でどうしたものかと悩んでいた際、ゲーム・ディレクターからこんな話を聞きました。
「カルネージ・ハートとは、かなり意訳ですが、『修羅の心臓』という意味です」
この瞬間から曖昧だった物語は明確な形を得ました。
一作目が典型的な巻き込まれ型の主人公で、怯え、惑いながらも仲間を助ける為にOKEを駆る者ならば……今度は逆に、自分から戦いを仕掛ける『修羅』を主人公にしてはどうか――と。
自画自賛を覚悟で言えば、かっちりまとまった渋めのシナリオが出来たと思っています。難易度調整も色々成されているとの事で、元からのハードなゲーマーの方は勿論、物語そのものを愉しもうという方にも是非、本作を味わっていただきたいと思います。
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